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東京の友人、看板キングの高橋さんを訪ねた。

東京の友人を訪ねた。

東京の友達のところに遊びに行った。看板キングの高橋芳文さん。マツコの知らない世界に出演、メディアに出ていて、著者もあり、業界団体の要職を務め、有識者として官公庁からも意見を求められる、看板会社の社長さん。スゴイ人だ。

ある日、Facebookの投稿で、小さな出版社さんが集まって開催するイベントの運営に携わると書きこんであったのを見て、「面白そうだね!」とコメントしたら、「おいでよ!」と。

北海道から向かうので、イベントのスケジュールを確認すると、朝一から参加するには朝の飛行機では間に合わない。せっかくだから前日入りした。

「一緒にご飯食べよう」と誘ってくれたので、準備をしている桜神宮に向かう。神社の境内と、著名な作家の田口ランディさんがいた。

高橋さんはずいぶん親しそうな雰囲気。「北海道から明日のイベントのために来た、ボクの友達です」と紹介してくれた。ランディさんは、ニコニコしながら、えー、わざわざ、ありがとうございます!と、これまた笑顔。

子どもの頃から小説家さん、作家さんに憧れていて、なんか作家さんは気難しいというイメージを勝手に持っていたけど、笑顔が素敵な人だった。

ボクは元来人見知りする質で、あこがれの職業の方を前に、さらに、その方の本はまだ一冊も読んでいなかったので、「どうも」と言ったきり、続く言葉がなかった。

本を読む前に著者さんに出会う。これは、本好きとしてはちょっと悔しいというか(悔しいったって自分で読んでいないんだから、なに言ってんのと思うが)、しまったと感じた。これは、明日のイベントでランディさんの話を聞く前にやっぱり本を読んでおこうと思った。

 

新宿を歩く。

高橋さん(彼はポテト好きなので、以下ポテト)が、「新宿泊まりなら、いい雰囲気のお店があるんだ」と、首都高を使って新宿を目指す。

田舎から来たボクに、せっかくだからとゴールデン街を案内してくれた。ポテトは、日本で有数の看板界の権威である。

歩きながら、「こういう看板面白いでしょう」と子供のように無邪気な笑顔を見せてくれる。かと思えば、経営者としてお金につながることばかり考えている、お金ではない価値観ってよくわからなくてと率直に語る。

ボクは彼のFacebookの投稿を良く見ているが、これを見ているとお金じゃなくて目に見えないことの価値をずいぶん感じて求めている。

本当にお金だけが価値観の人だったら、ビジネスにつながりそうもない、田舎の公務員など相手にしないだろうとか考えると、露悪家なんだなぁと思った。

そういえば学生の頃、偽善者と言う言葉の反対の概念を思いつき(自分だけがそこにたどり着いた気になり)、わざと実像より悪く振る舞う人のことを偽悪者と表現していた。
ただ社会に出てしばらく経ってようやく、世の中で偽悪者という表現をめったに目にしないのは、偽善者の反対は露悪家という言葉が既にあったからと気がついて、得意げに造語を使っていた自分が恥ずかしくなったことを思い出した。

 

裏の道を入っていくとちょっと一本奥に行くだけで、狭くなり暗くなる。人も減る。あのあたりに入るとビール1分8,000だよと教えてくれた。異文化に触れるのはなんだかワクワクする。逆に東京に住む彼を鹿追に案内にしたら楽しんでくれるだろうか。畑しかない風景、雪に覆われた大地、すっかり凍ってしまった湖の上に氷で作るアイスロッジ。北海道の食べ物。彼なら意外と喜んでくれるかも。今度地元の画家神田日勝の美術館を案内したらどんな感想をかたってくれるだろうか。今度誘ってみよう。と、猥雑な街を歩きながら思った。

「こういう感じのお店、なかなか一人では来れないでしょ?」と、入っていった店は、古い感じの建物。

ウェイトレスが片言の日本語なのは、コンビニでもそうだが、店の奥さん、マスターも中国のなまりがある。本場の家庭中華だ。料理の名前は、一度聞いても覚えられないくらいなじみがないけど、美味しかった。

これはエビチリ。唯一名前が分かった料理。

お互い、あんまりFacebookやSNSに書くようなことじゃないようなことを含め、お互い遠慮なく話す。ポテトは興味のジャンルがとても幅広く、なんというのか、ある意味捉えどころがないというか、枠に収まらない人で、求道者だ。

彼に、こう言われた。「ブログをみると、ずいぶん遠慮して書いてるよね。もっと思ったこと書けばいいんじゃない?」

彼には、ふだんボクが隠している毒の部分も御見通しのようだ。

「確かに、全方位外交、八方美人なんだよね。昔、本音を文章で書いたら、行き違って苦労した経験があるんだけどさぁ…。面と向かって相手の表情や、間を感じながら話す方が、本音のドギツイ言葉も誤解されそうになったら補足しながらやりとりできるからねぇ…。」

 

心地よい時間はあっという間に過ぎていく。

 

あの看板のこと

前から、彼と共にやりたかったことを思い出した。「そうだ、あの看板のところで、一緒に写真を撮ろうよ!」

「いいね、行こう行こう」

あの看板とは、この看板。歌舞伎町を象徴するこの看板、ポテトが作ったそうだ。

 

表情はいいけど、メガネが反射しちゃった。

スマホのカメラで捉えられる光と(バージョンにもよるのだけれど)、肉眼で見る、周りの風景の中に浮かび上がる美しい文字とは、ずいぶん差がある。

なにかの機会で歌舞伎町に訪れる人には、ぜひ自分の目で見てほしいな、と思った。

「アイラブニューヨークのオマージュなんだけど、実は、別の着想があってね…、」と、この看板の最高の使い方を教えてくれた。できた作品とともに、そこに至った考え方を作者直々に制作秘話と共に解説してくれるのは、とても贅沢な美術鑑賞だ。

 

ホントは、すごくきれいな鮮やかな赤の文字。写真でなく、町のなかの風景として、とっても美しい。このネオン、とっても主張するけど、でも、この町の風景にピッタリ。

東宝のゴジラとともに、町の名物だね。スゴイ。

充実した時間を過ごし、泊まるホテルにたどり着いたのが午後10時40分。

フロントで夜中まで開いている本屋さんを聞いてみると、「少々お待ちください」とパソコンで検索してくれた。

眠らない街新宿の店で何件ぐらい、夜まで本屋さんが開いているんだろうと思ったら、ここから近くの本屋は午後11時ぐらいに閉まってしまうとのこと。歩いて20分くらいかかるそうで、着いたころには閉店である。

もちろんもっともっと遠くまで行けば開いている本屋はあるのだけど…。

そうかぁ、でもまあいいか。そういう風向きではないんだなと、ランディさんの本をあきらめて、ガラッと趣を変えてラーメン屋さんは近くにありますかと尋ねる。

こちらは、すぐリーフレットが出てきた。

「1番近くで、すぐそこの角にあります。」

聞いたボクが言うのもなんだが、本屋とラーメン屋の落差はずいぶんとあるなぁ。と思った。文化より食欲か。ボクもね。
すぐ食べに行こうと思ったが、飛行機と電車の移動でちょっと疲れたので部屋で一休み。

ベッドで横になりながら、自分でスマホを使って検索をしてみる。渋谷まで出れば24時間空いている本屋さんがあるみたいで、このホテルから渋谷までどのぐらいかかるのかなあとGoogle マップで調べる。

電車の乗り換えで、新宿と渋谷の駅はとにかく迷う。さっきも羽田から京急に途中直通で○○線というのがいろいろ変わりながらも渋谷まで来て、田園都市線への乗り方がわからなくて、改札から出てしまい、別のところからまた入った。

またうろうろして、どうもこっちじゃないと出ようとしたら、自動改札が閉まる。駅員さんに尋ねると「ここから出るとお金がかかるので○○改札から出るといいですよ」と教えてくれた。正直言ってそこまで迷わず戻れる自信もなかったしもう複雑さにとまどったりしていたので、田園都市線に乗り換えたいのですがと話をして、道を教えてもらった。

すでに待ち合わせの時間に少々遅れそうで何百円かはどうだっていいかなぁと。そんなわけでここから渋谷まで行って探すというのは、買いにいって迷って、たどり着いて本屋さんで目移りして迷って、帰り路にまた迷って…という頃には相当の時間が経っているだろうし、そうなると多分読まないで寝て朝を迎えて出発の時間になる気がした。

それなら意味がないなぁとスマホでルートを探りながら思っていたところ、いやまてよ、と。

iPhoneに入っている電子書籍のアプリを思い出した。

そして探してみたら、さっき友人に勧められた作品は無いものの、前に新聞か何かの書評欄で見かけて気になっていた内容の本があり、ダウンロード。なるほど700円ばかし払うだけで本の内容が手に入る。

わざわざ時間をかけて電車に乗って図書館に行くより買ってしまう方が、ただより安い。

さてこれは著者にいくらぐらい入るのだろうか、と思いながら読み始める。

 

【ゾーンにて】

電子書籍、ずいぶんと便利な世の中になりました。
図書館は今までのやり方だとピンチ。

 

主人公は福島で起きた原発事故の避難地域に行き、打ち捨てられた牧場の牛を見る。繋がれたままミイラになった牛、生き延びて久しぶりに人間を見て喜んで寄ってくる牛。家畜として生きていたが、人間がいられなくなり、食べられる運命を逃れ自然の中で生きる牛。幸せなのかそうでないのか。

牛だけでなく、ダチョウもいた。飼われていたダチョウは人間を見つけて寄ってくる。

ボクの町にもダチョウを育てている人がいて、その方の話を聞いたことがある。

ダチョウは飼い主であるその人になついているのかと思えば、そうではないと聞き驚いた。なんでですかと尋ねると、「あいつらからすれば俺は卵泥棒、敵なんだ」と。なるほど。
ダウンロードした小説を読んでいると、友達がブログに写真つきで記事を投稿してくれた。ずいぶん自分の顔が丸い。

これは夜中にラーメンを食べる場合じゃないなとちょっと反省。
再び本(電子書籍内の文章、本とは言わないのか言うのか)に戻ると、主人公の「人生に手遅れてなんてないから」という言葉に目がとまった。

この言葉は、いくつもいくつも自分の経験や人の人生を聞いて得た実感がこもっていると重みを感じた。そういう言葉を仰々しく書くんじゃなくて、さらっと1場面に溶け込ませる。読んだ人全員にこれを感じさせたいということではなく、誰かがわかってくれればいい。全員わかる事はないだろう。そういう風に書いているのかなと。なんだか、小説でそういう読み方を今までしたことがなく、さっき作者さんに会ったからかな、とふと思った。

小学校から国語の授業で作者の気持ちを考えよという問いに幾度となく答えてきたのだが。
この小説、面白いなと読みふけっていると、真夜中でも30分に1回は救急車のサイレンの音が聞こえる。ここでは、救急搬送はごくありふれた出来事なんだな。
意識をスマホに戻そうとしたところ、突如思い立つ。そうだ、今度の町の広報で、この本のおススメを書こう!

だが、作家さんは図書館で自分の本の貸し出しが増えると嬉しいのだろうか。ランディさんの顔が浮かぶだけにちょっと複雑な気分になる。

じゃあ、図書館もいいけど、Kindleが便利ですよ、と書くと今度は本屋さん達の顔が目に浮かぶ。ボクは電子書籍には思い入れはないけど、本屋さんは大好きなのだ。

電子書籍も便利だけど、紙の本が優れている点として、電子書籍は物として所有する喜びが薄く、手にした充実感は紙の本が圧倒している。手に入れた喜びは、なんなら、読まなくてもいいくらいだ。

そういえば電子書籍は、買うという表現をするが、アプリがなくなれば読めない。その辺りがどう保証されるかというと、電子書籍は買っているのではなくアクセスする権限を手に入れていて、それも永久のものでは無いようなことを何かで読んだような気がする。

そうするとやっぱり書店で買って部屋に置いておきたい。

ただ、欲しい本が決まっているのならネット書店は圧倒的に便利だ。Amazonに客を奪われる本屋さんの苦境を思う。本屋さんは、立ち寄ると新たな本と必ず出会う。

ボクの中ではアミューズメントスペースである。何気なく10、20冊と買ってしまうこともある。
それはともかく、読んでいると随分と面白い。さっきポテトが紹介してくれたとき、一緒に写真を撮ってもらえばよかった。

明日は多分そんな時間もないだろうな。

ああ、もう今日か。ちょっと寝てから、イベントに行こう。