Category Archives: 積読書

阿寒の鶴雅さんに逗留。

なんだか、日ごろロクなことを考えてないなと思い、ちょっと日常を離れてみよう、と阿寒の鶴雅さんに3泊。

一泊目、到着後、小雨交じりの温泉街を散策。よさげな木工品やしおりなどを発見。後で買いに来よう。

民芸品屋さんが多く、財布のひもがつい緩みそうになります。まずは初日なので我慢。

夕食、豪華なバイキングで食べ過ぎ、いささか苦しくなり就寝。

このあと、3回おかわりをしました。

まあ、日常を離れていてはいるけど、理想とちょっと違うような…。

朝、目覚めると、台風も過ぎ去りお天気が回復。9階の部屋の窓から、先日リニューアルした中庭が一望できる。

家族連れ、こどもが歓声を上げて走っている。とても気持ちが和む光景。お母さんがこどもの写真を撮っていたりして、幸せそうな光景。ご家族のいい思い出ができたんだろうな、と穏やかな気持ちに。

9階から中庭を撮影。知らない方を勝手にアップすると盗撮感があるので、誰もいないタイミングで撮影。子どもたちが喜んで走り回っているところをご想像ください。

ただ、スマホや携帯で現実に引き戻されることって、あるよね。

なかなか離れきれないなぁ。

読みたい本も、厳選して持ってきたけど、鶴雅ウィングスのラウンジで見つけたフィッツジェラルドの短篇を読む。

激情の短篇。うーん、こんな恋愛、そしてこのラスト…。小説って、違う世界や人生を旅することができる。すばらしい。

持ってきた本はまだ一冊も読み終えられず。

家にある積読コレクションから厳選して持ってきたけど、全部読むのは無理だよね。

まあ、それもいいかな。

あかりの日・国際反戦デーでした(2017.10.21)

おはようございます。北海道十勝鹿追町の公務員、図書館で働いている石川誠です。

読書が趣味です。昨日は近くの本屋さんへ。

本屋さんに行くと、テンション上がりますよね。

 

いろいろな読書術、読書法について考えてみたいなーと、そんなセレクトが多くなっています。

「ひらめき教室」は、少年ジャンプで暗殺教室や魔人探偵脳噛ネウロを書いていた松井優征さんの名があったので、面白そうだなーと買ってみました。

「夜型人間のための知的生産術」は、Facebookの投稿で、師匠の藤村先生が買って嬉しそうにしていたのを見て探してきました。SNS消費ですね。

「100分でde名著 ハンナ・アーレント 全体主義の起源」は、うちの図書館で、中学生向けの学級貸し出しに「自分をつくるテツガク」がセレクトされていたのをチラ見して、はじめてアーレントを知りました。その中で、「エルサレムのアイヒマン」に触れられていて、ユダヤ人を強制収容所に送り続けた『悪』は、真面目な思考停止から来ている(省略すると齟齬が生じてこわいのが哲学ですが…)と知り、衝撃でした。

こどものころ、ナチスドイツのアウシュビッツ収容所のガス室で無辜の市民がどんどん殺されていった歴史を知っておそろしいと思ったのですが、大人になって知って、もっとおそろしいのは、収容所に送り込んでいる人間が、『ユダヤ人を許すな! ユダヤ人を苦しめてやれ!』という悪意や殺意ではなかったこと。『上から言われたから真面目に、どうしたら効率よく処理できるか一生懸命やりました』と裁判で話すアイヒマン。

書いていて身震いがしますが、しかし、正直に言うと、ボクも組織にいて、ちょっとだけわかる気がしました。「エルサレムのアイヒマン」が衝撃や反発を受けたのも、人々は内心、『あってはいけないことだけど、でも、ちょっとあるかも…。いや、ダメだけど、ちょっと…』と思ったのではないでしょうか。

どうなのでしょう。たとえば、日本に例えると、最高裁判所で死刑判決が確定された。死刑を行うのは裁判官ではなく、死刑執行人です。執行人は、判断の権限がなく、法務大臣が決定します。執行人は、絶対言わないでしょうけど、「俺、この人無実だと思うんだけど」と言って職務を遂行しない、ということにはならないですよね。法治国家ですから。

なんとも、正解が分からないことを考えるのが哲学で、もちろん人の生き死にがかかることとは別ですが、日常の仕事の一つ一つの正しさを考えているととても終わらない…。

と、そんなことを思って、でも考えないとアイヒマンか…、と思って買いました。

ああ、恐ろしい。

 

 

さて、それはそうとして、「へー、こんな本、あるんだ。ちょっと読んでみようかな」というきっかけになってほしいと思って「今日は何の日?」をテーマに図書館の本を紹介しています。

 

田中みのるさんのメルマガによると(田中さんのホームページでも調べられます)だいたい一年365日、「何かの日」になっているそうです。

 

さて、10月21日はこんな日です。

あかりの日、国際反戦デー

 

※【あかりの日】

1879年(明治12年)のこの日、アメリカの発明王トーマス・エジソンが作成した

白熱電球がこの日までの3日間、灯り続けたことにちなみ、日本電球工業会、日本電気協会などが1981年(昭和56年)に制定した。

ちなみにフィラメントには高温でも融解しにくい京都・石清水八幡宮の孟宗竹(モウソウチク)が使われた。

1年間の照明器具の生産数は19万9173台。(社団法人日本照明器具工業会,2002)

あかりのありがたみを認識する日。

 

夜遅くまで本が読めるのはあかりのおかげですね。ありがたいです。

「頭がよくなる照明術」結城未来 PHP研究所 2006年刊行

なんと、こういう本がありました。気になります。

 

やっぱり、エジソンといえば発明ですよね。

「みんなが知りたい!『世界の大発明』がわかる本」プロジェクトM メイツ出版 2005年刊行

この本は読んだ人に新たな発見をもたらします。きっと。

 

「2000年間で最大の発明は何か」ジョン・ブロックマン 草思社 2000年刊行

むむ、何でしょう。

人類の一番役に立っているものかな…。

本? 違うかな…。

 

 

※【国際反戦デー】

1966(昭和41)年、日本労働組合総評議会(総評)がアメリカ軍のベトナム戦争介入

に反対する全国政治ストライキを計画し、同時に全世界の労働団体・反戦団体に呼びかけ、

この日が反戦の日になった。

 

「もしそれがわたしだったら(24の反戦詩集)」赤木かん子 自由国民社 2003年刊行

図書館の発明の母、赤木かん子さん。詩集も編まれていました。気がついていなかった…。不勉強でした。これも読んでみたいです。

 

「『反戦・脱原発リベラル』はなぜ敗北するのか」浅羽通明 筑摩書房 2016年刊行

むむむ。

平和や反戦を唱えると「非国民!」と謗られる世の中だけは、もう来てほしくないです。思想や言論が自由であることは、アイヒマンを生まないためにも大事だと思います。

 

今日はこのあたりで。

それでは~。

読書と積読書

読書が趣味である。

本は自分の知らなかったことを知ることができる。それが面白い。

本屋さんに行くと、自分の知らないことばかりがあり、それを知りたくなってたくさんの本を買って帰る。

ただ、読むよりも買う方が早くなり、読み終わる前に次の本を買ってしまう。

部屋には読んでない本が積み上がる。これがいわゆる、積読書(つんどくしょ)と言われる状態である。

それが悪いことだと思っていた。

 

でも、「好きなことをやったらいいよ」「考える人、ロダンの積読書なんて面白いと思うよ。積読書を投稿してみたら?」という、ボクの師匠のアドバイスを思い出した。

いや、忘れていたわけではない。

積読書が恥ずかしかったのだ。せっかく買ったのに、読まないのはムダで、役に立たないことにお金を使っているのはダメなことだと。

でも、「好きなことやったらいいよ」というアドバイスがつながった。

先輩の、「恥をかいてもええねん!」という言葉も脳裏をよぎる。

「とにかくやってみよう! ダメならやめればいいんだから」

そうだよなぁ。

こんなことをグルグル考えている間に、本を読めば相当読み進むのだが…。

考えるのが面白いから、それはそれでいいのかな。いいことにしよう。

いままで、趣味はと聞かれて、読書という答えをしていた。

確かに読書は好きなのだが、最近あまりしていない。だから、答えるときに「なんか違うんだけどな…と思っていた。

とうとう、気がついた。今の趣味は読書ではなく、積読書なのではないか。

 

「読まなくてはいけない」

「本棚に片づけなくてはいけない」

というのはやめて。

テーブルやデスクに積みあがる本は、なんとなく、罪悪感もあったし、読書もその他のことも停滞させている。

ので。

積読書専用のスペースを用意しよう。ここに収まりきらなければ片づけるということにする。

なんだかとても楽しい気分になった。いつまで楽しいか分からないけど、ダメならやめればいいんだから、とにかくやってみよう。

 

本屋さんで面白そうな本を見つけた喜び。

それを買って帰る嬉しさ。

でも、読んでいない。そのことに自分を責める気持ちがあったけど、読書が趣味なら読まないのはダメだけど、積読書が趣味なら読まないこともOK。もちろん読んでもいいし。

 

よくわかんないけど、そういう風に整理したらなぜだかワクワクしてきた。

 

「ワクワクすることをやろう!」という師匠たちの言葉を思い出した。

ここにきてようやく、見つかった気がする。

資本論で有名なカール・マルクスは、「労働者は労働を売っているのではなく労働力、つまり労働する可能性を売っているのだ」

と言っていた気がする。

ボクも、本を買っているのではなく、本を読む可能性を買っているのだ。

いつ読んでもいいし、読まなくてもいい。

 

こんな言葉も思い出した。確か、片づけ術の本にこう書いてあった。

「買ったのに使っていないものでも、買ってワクワクした時点であなたにとって貴重な役割をすでに果たしているのです」

だから、もったいないと思わず、罪悪感を持たずに使わないものはありがとう、と思って捨てて片づけてよいのです。と続いたような記憶がある。

ボクは積読書が趣味なので、この理論の都合のいいところをもらうことにする。

ワクワクして積んでおく。

本を読んで役に立てようと思うと、役に立てなければいけないと思い、趣味のはずの読書ができないことでちょっと自分を責めていたのかもしれない。

でも、積読書が趣味なら、積むことで満足なのだ。

 

そうか、あのときの師匠の言葉はこのことを言っていたんだ。

師匠の言葉を理解するのに、2年と5カ月ほどかかった。

 

でも、エクスマをこれから学ぶ人達には、別にわかんなくてもいいから、とにかくやってみることをおススメします。

この文章をワードで下書きするのに、【積読書解消のため】とつけたが、別に解消しないでむしろどんどんやってみようという結論に至りました。

めでたしめでたし。