シルクロードと馬とラクダ 1

北海道の鹿追町図書館で働いている、石川誠です。昨日はシルクロードの日だったのですが、ツイッターで

「天竺を目指してを旅する三蔵法師は、白馬に乗っていたイメージがあるけど、シルクロードといえば砂漠。ラクダではないのかな???」

という疑問が寄せられ、ボクも全く同じことを思っていたのでいろいろ本を読んでみました。

 

 

中公コミックス中国の歴史7シルクロードの旅では、三蔵法師の天竺への旅が描かれます。国に争いが絶えぬ様を憂う、のちに三蔵法師と呼ばれることになる玄奘はなぜ仏教を広めているのに平和にならないのか疑問でした。

あるとき、ブッダの教えを伝える経典自体に、記述の誤りがあるのでは、と疑問を抱きました。そこで、天竺に行き正しい経典を確かめようと思い立ち、時の皇帝に願い出ますが、「西への旅は危ない。いまにその地域も支配するからそれまで待て。今は旅を禁じる」とされてしまいました。

しかし、玄奘は、本当に正しいことのために国禁を破ることを厭いませんでした。

国境を守る兵は、仏教を学んでおり、砂漠を越えようとする玄奘のために馬と水を与えました。

 

おお! 馬です。

しかし、「空には飛ぶ鳥もなく地には走る獣もなくあるのは自分の影だけ」と、玄奘はのちに大唐西域記に書き記しています。

自分以外に生きるものがいない、死の世界です。

 

砂漠や草原にあるオアシスに街ができ、そこを結ぶ道が交易路となり、ドイツの地理学者、リヒトホーフェンがシルクロードと名付けました。中国の絹は、西の国で高く売れたので、それをもとめて商人たちが行き交いました。

 

砂漠だけでなく、雪山も超えました。天山山脈は7000メートルを越える厳しい山々。

従者のひく馬も、断崖に落ちていき、止まぬ吹雪に従者も倒れました。

七日かけて山脈を踏破する間に、多くの従者と馬を失いました。

 

唐の都長安を出発して二年あまり、玄奘は天竺にたどり着きました。

 

しかし、かの有名な祇園精舎はすでに廃墟となっていたそうです。

諸行無常の理を表す鐘の声が滅んでいるとはなんとも皮肉です。

 

ブッダの故郷、天竺はインドのことなのですが、そのころは仏教は勢力が衰え、ヒンドゥー教が台頭してきた時期でした。

しかし、信の篤い僧たちに出会い、正しい経典にて学び、写し取って国へ戻る長い旅に出ます。

「国禁をやぶりここまで来たあなたは、国へ戻ると死罪になるかもしれない。あなたの才能と情熱で、ここへ残って仏教を広めてほしい」という天竺の王たちの慰留を、玄奘は断りました。正しい経典を国に持ち帰るのが、玄奘の使命であったのです。

長安へ戻る旅は4年の月日がかかりました。

 

死罪も覚悟した玄奘ですが、皇帝は玄奘の真摯さに打たれて篤く迎えます。

その後、玄奘は亡くなるまでの20年間、経典を中国語に翻訳するのに身命を尽くしたそうです。

 

この玄奘の旅をもとに、西遊記の物語が描かれて、その物語をもとにドラゴンボールが描かれるわけですね。

 

 

…、ラクダが出てこないですね。

今日はここまでにして、後でもう少し調べてみましょう。

投稿者プロフィール

石川 誠
北海道鹿追町の図書館で働いています。心に残っている本は、一冊というのはとても難しいのですが、小学校高学年で読んだ「がんくつ王」です。
物語を心に宿すことのできる、読書の魅力を伝えていきたいです。
こちらのブログは、個人の意見を書き連ねています。

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