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【書評】夜のスイッチ レイ・ブラッドベリ
図書館で、ふと目についたこの本。
そういえば、ブラッドベリは読んだことなかったなぁ。ええと、有名な作品、何だったっけ…。
おはようございます。読書の楽しみを、ネット社会だからこそ伝えていきたい、鹿追町図書館で働く石川誠です。
ブラッドベリが著名な作家だとは知っていたけど作品は読んでいなかった。
手に取ると、分量も少なくて忙しい中でもすぐ読み終わりそうだった。
少年は夜が嫌いで、夜が訪れるからランプのスイッチを消すのも嫌いだった。
そこに、一人の少女が現れて、そうじゃないんだよ、と彼に伝える。
40数ページで、見開きに何行かの文字量。
子ども向けの童話を思わせる分量だが、この物語が隠喩するものは深い。
「あかりを消すのではなく、夜のスイッチを入れるの!」と不思議な少女に言われて、現実のボクがページをめくると、たしかにコオロギの鳴き声が聞こえてきた。カエルの鳴き声も。
なかなか無い、不思議な感覚だったけど、主人公と女の子と、そしてボク自身、夜のスイッチを入れることに成功した。
同じ現象でも、どこに視点を合わせるかでまったく別の現象がおきる。まさか、この短い本でそんな感覚が味わえると思わなかった。
本は、著者との対話であり、著者から何を引き出せるかはこちらの読み方によって変わる。
ボクの状況にピタリとあっていたのかもしれない。
夜をおそれてあかりを絶やさない少年は、不都合なことから目を背ける臆病者なのか。しかし、不都合に思えるマイナスのできごとも、見方ひとつで明るいプラスのできごとに変えられる。そんなことを教えてくれた、この本。
優れた物語は、余韻が残る。
【夜のスイッチ】 レイ・ブラッドベリ 晶文社
お探しの本、どんどん、図書館の人に相談してくださいね。みなさんの要望や悩みに答える本を揃えていますし、棚から探しますし、図書館内に無ければ手配して用意します。ボク達は、そこにやりがいを感じています。
こんにちは、北海道の十勝、鹿追町図書館で働いている石川誠です。
お探しの本が見つからないとき、ぜひ、図書館のスタッフにお声かけいただきたい理由は、大きく分けて3つです。
1.図書館で、棚からお目当ての本を探すのは意外と難しかったりします。
例えば、仕事の悩みを解決する本も、いろんな棚に分かれて置かれています。部下との仕事の仕方で悩んでいて、それを解決する本は、生き方のコーナー、仕事の仕方のコーナー、日本語(言語)のコーナー、最近では、ビジネス支援のコーナーなど、多くのコーナーに分かれていて、あなたの目の前の棚以外にも、あなたのための本がたくさん用意されているのです。
2.あなたのお探しの本、実はその棚にはないけど、別の棚に並んでいた、ということも良くあるのです。
スタッフは本を探すプロです。どんな本があるかはお客さんよりもちろん詳しいし、館内の蔵書の検索機で調べるより、カウンターで図書館員が使うパソコンでの検索の方が多くの本を見つけられたりします。小さな町のうちの図書館でも、蔵書は8万冊ありますし、その中からみなさんのお目当ての本を探すのは、ちょっとしたコツがいる場合もあります。
3. 我々はAIでなく、人間です。お客さんが、「この本、読みたかったんだ。あって良かった」と借りていただけると、とても嬉しいです。
「お役に立てた!」と、さらに次の方のために、「がんばろう」という気力もみなぎり、いい循環で仕事ができます。遠慮されているなら、ご遠慮無用です! 我々も、聞かれて応えられたらうれしいし、もしその本がなければ手配いたしますし、それが蔵書の充実にもなります。実は、どんな本が喜ばれるか、どんな本が子の図書館に必要かは、毎日考えています。こういう本が読みたいというご質問をいただいて、それが無かったとなると、悔しいです。そういうことがあると、限られた予算ですが次にお客様が来られた時に、満足してもらえるように蔵書を殖やそう、ということにもなります。「こんな本、探してるんだけど…」とぜひお声かけください。
書いているうちに、4点目を付け加えたくなりました。
4.公共図書館は、全ジャンルについてくまなく本をそろえる使命があります。
本は、先人が残してくれた、経験がいっぱい詰まっています。先人がぶつかって、解決できた悩みの本も全ジャンルについてあります。鹿追町図書館の場合は、予算規模の問題もありますが、実は、うちの図書館に無い本でも、全道の図書館でネットワークを組んでおり、「利用者さんがこの本読みたいと言っているけど、うちの図書館にはなかった。でも、あなたの図書館にあるなら、貸してよ」といって、取り寄せの仕組みがあります。リクエストという仕組みもあり、こんな本を図書館で置いてほしい、というご要望、全部に応えられるわけではないけど、できる限りのことはしたいと思っています。
以上、4つのポイントから、ぜひ、「こういった本、ありますか?」と図書館でスタッフに聞いてほしいです。
図書館はただ本を並べてある施設ではなく「読みたい気持ちに応える」ために全国に設置されています。ぜひ、お声かけください。
ボクもカウンターで仕事をしていて、小さなお子さんがニコニコして、「このほん、かしてください」と言われると、本当にうれしいのです。大人の方から、こういう本ありますか?というお問い合わせに、ぴったりした本を見つけられると本当にうれしいのです。せひ、お気軽にお声かけください。図書館は静かに、となっている所が多いのですが、そこはどんどんお話しくださいね。
インターネットとスマホの普及で、本の価値が下がっているように思われています。
でも、月に一冊以上読書をする人が、これからのAI時代で活躍する人です。
そんなことを言うボクは、北海道十勝の鹿追町図書館で働いている、石川誠というものです。
本が読まれにくい時代ですが、だからこそ本を読んでもらいたい。
本を読んだらいい理由は大きく3つあります。
1 面白い本に出会うと、夢中になって読み進めるので自然と知識がつく。
ボクの両親は本が好きで、それを真似して自然と本好きになりました。
小学生の頃に図書館で【地球のひみつ】とか、【イヌ・ネコのひみつ】とかの学研の学習マンガ、ひみつシリーズに出会い、そのシリーズはある分全部読みました。そうすると、特に学校で習う前から各ジャンルのことがなんとなく頭の中に入っていて、先生が話すことの予習、時には復習に、勝手になっていました。小学校の時は成績は良かったです。
あ、なんか自慢っぽいですね。中学生からは、家で勉強しないのでそんなに成績は良くなかったです。読んだ本で成績は偏りました。でも授業と関係なく出題される学力テストは、親に「先生がほめてくれてたよ」と喜ばれるほど良かったです。
なんか、また自慢…。
ボクの話は置いておいて…。
2 言葉をたくさん覚える(語彙の獲得)
人間は、自分の知っている言葉(語彙)でものを考える、と言います。知らない概念では考えられないのです。単なる暗記より、意味のある文脈だとものを覚えやすいのです。普段から読書で新しい言葉に触れると、自然と語彙が増えていきます。読書しないと、いいことも悪いことも「ヤバい」という表現になり、よく伝わらないのです。知らないことを検索するのも大事なのですが、それだけでは後手にまわってしまい、AIに仕事を奪われています。
3 本は出版してあなたと出会うまでに多くのエネルギーが注がれていて、それを手にできるのです。
ネットのブログは、すぐ書けてすぐ世に出ます。このブログもそうですがボクが1時間ほどで書いています。
ボクが責任と誇りを持って書いていますが、ボクだけで書いているので、ボクを信じてくれない方には価値がないです。
紙の本は著者が調べたり経験したことを、編集者、出版社が責任を持って世に出ます。
あやふやなことは世に出ないのです。
特に、こどもたちにはたくさんの本に触れてもらいたいです。いろんな子がいるけど、必ずその子に合った本があります。なぜなら、人間は大事なことを書に記して、それを伝えて発展してきたからです。飛行機が空を飛ぶ前に、自転車を発明した人がいて、その前に車輪を発明した人がいて…と文明が発展してきたのは、口伝ではなく書物です。すでに多くの先人がボクらの前を歩き、時には命がけで学んだことや感じたことを残してくれています。
さらに、この時代だからあえて言いますが、みんなが読まなくなれば、ちょっと読むだけでもあなたの価値は格段に上がるのです。みんな読んでないんだから。
ネット検索は後手ですが、読書は先手を取れます。月に一冊は、本屋さんや図書館で、興味の持てる本を手にしましょう。
北海道の十勝、鹿追町図書館で働いている石川誠です。
図書館で日々仕事をしているのですが、これだけインターネットやスマートフォンが普及して、図書館や本の相対的価値は昔に比べて下がっているよなぁ、と感じています。絶対的価値は変わらないですよ。うん。
そんな中で、どんなしごとでも、【ちゃんと仕事の価値を伝えよう】という藤村正宏さんの話を聞きに来ました。
たくさん本を出している、有名な著者でもあります。中国のテクノロジーの話がありました。
中国のボクのイメージは、長らく、学生の頃にメガドライブというゲーム機で遊んでいた【スーパー大戦略】の人民軍のイメージで、アメリカやソ連と比べると装備などが前世代的という認識から発想していた。
もちろん、どんどん経済的な成長を遂げ、さらに、先進国では環境や人権に配慮して、取り得ない一直線の政策で国力を増しているのは知っていたが、手のひらよりも小さなドローンが、人の操縦不要でAIによって自律的に人を攻撃する兵器の開発が進んでいると聞いて驚いた。
こんな兵器が使われることはあってはならないと思った。
それとは別に、変化していく時代に、同じことをやっていては、通用しなくなるし、新しい情報を知っておく必要がある。
そして、新しいことだけでなく、多種多様な、自分の気にいる文化に遠慮せずに触れていこう、それがあなたの価値になる、というお話。うん。ボクの価値とは…。
他にお二人、自分の経営から学んだことをお話してくれました。
不動産業を筆頭に多角的な経営をする高橋健一朗さんのお話から。
「好きなラーメンのことを投稿していたら、ラーメンといえばケンイチローといわれるようになった」
ボクも、好きな本のことを、もっと投稿してみよう。
親御さんから受け継いだ印刷業を、悩んだ末に廃業し、その時の思いから安全な美容商材を扱う会社の経営を始めた鳥辺康則さんのお話から。
懸命に学んで会社の経営で結果を出すも、時代の変化でその学びの効果が出なくなったとき、180度の方向転換を全力で図り、V字回復を遂げている。
トラブルが起きるときは、立て続けに…、というお話がグサッと来た。反省するべき点が大いにあるけど、どんどん難しいことが押し寄せてくるというタイミングが、ある。
難しいと考えずに、「カンタン」と口に出してみること、という思考のクセをいい方に持っていく実践家の橋本さんのアドバイスを思い出して、難しく考えないようにしよう。
お二人に共通するのは、とにかく実践。でも、自分の判断基準とそれを支える学びや感性を大事にすること。
他にも、多くの話を聞いて、ここには書ききれないほどメモをしたのだが、尊敬するオクノヤさんに、「そのメモ、役に立つの!?」と問われ、自分でも首をひねった。
確かに、一夜明けてメモを見返すと、「釧路の美容室のビューティツボイさんが、菅原裕子さんと今度飲みに行く約束をしている」とか書いてあって、この情報は役に立つかといえば、ボクには役に立たないよね、たぶん。
今日もオクノヤさんが正解でした。
阿寒湖の鶴雅さんで、インターンシップで学んでいる学生さんに、これから社会人として必要になることを講義する勉強会に参加しました。鶴雅さんのご厚意で、学生さんの後ろの方でおじさんおばさんがお話を聞かせていただきました。ありがとうございます。
これから就職活動、シューカツに取り組む学生さんに藤村正宏先生が、「これからのビジネスはこうなる、だからこういうこと考えて、こんなことを今からやっていこう、まあ、後ろのおじさんおばさんたちもできてないんだけどね」というお話。
そう、ボクはできていないのである。
『話を聞いて、「よし、やろう」と思う人が、1000人いて500人くらい。半分は、決断するんだ。でも、実際に行動するのはそのうち1人。1000人に1人しかやらないんだ』
そう。藤村先生の話は、今までの社会の常識はずれなことばかり。
というのは、めちゃくちゃなことを言っているのではなくて、これから社会がどう変わっていくか、という話。
そしてそれを考えてこういうことを勉強して、こんなことをやっていこう、ということ。
いわば、未来の時点においての常識だけど、まだ今の時点を生きる我々は気がついていないこと。だから、「仕事のonとoffを分けるな」とか、「遊びのような仕事、仕事のような遊び」とか、「ロジカルより直感」とか、「いい加減さを許容する」とか、「未来をしっかり見据えない」とか、フレーズだけ聞くと、常識的な人に「何を言っているんだ、もっと真面目に仕事しろ!」と言われかねない。でも、しっかり話を聞けば、「そうだよな、そうなっていくよな」と思う。スマホがこんなに流行るなんて経済学者は誰も予想していなかった。なんでも注文できて、世界中の動画も情報も、発信も受信もこの小さな端末でできる、一昔前で言えば出版社や新聞社や放送局しかできなかったことが、個人で全世界に対してできる。まるでドラえもんの道具がいくつも合わさった端末を持つことは、現実になるとは思えなかった。しかし、いつの間にか、持っていた。
1945年8月15日に日本で起きた価値観の大転換。しかし今日、価値観や常識の変容ははっきりわかりやすくどの日に起きるのではなくて、日々、少しずつ起きてきたし、これからも少しずつ、しかし時間が経ってみると驚くほど大きく、確実に起きる。
これをなぜ勉強して日々取り組まなければならないかというと、進化しないものは滅ぶから、ということである。
ボクは公務員だけど、ビジネスの最前線で活躍する先生に学ぶのは、もともとは、お知らせを作ったりしても、みんなのためになるイベントや制度も「伝わっていなかった」から。
いい講演会も、町中にお知らせしていたけど、来てほしい人に来てもらえなかったりしたから。そんな中、誰に何を伝えてどんな行動をとって欲しいのか、をしっかり考えて発信しようという勉強をはじめて、少しずつだけどやってみたら喜んでくれる人が少しずつ増えてきた。
今、図書館には、まだまだ、伝えたい「いいこと」がいっぱいあるから、どんどん勉強してもっと発信していこう、そう思った学びの時間だった。
そして、一度読んで以来、ボクの心に突き刺さり続けている、ある偉人の言葉をここに刻んでおこう。
ボクは誰かが講演中にメモもツイートもほぼしない。
(中略)
別にメモすること、ツイートすることが悪いことではない。でもセミナー中にメモやツイートをたくさんしてる人は後からそんなにもたくさんのツイートを確認しないし、できないし、もっと言ったら、、、やらない。
これ、メモ魔とツイート魔は行動を起こさないの法則です。
大切なのは、集中し、心で感じ、よし、これやるぞ。と決断して、その場ですぐ始めるか、帰ってからすぐに行動に移す。そう。少しの行動力と覚悟で十分なんだ。
なんだか、日ごろロクなことを考えてないなと思い、ちょっと日常を離れてみよう、と阿寒の鶴雅さんに3泊。
一泊目、到着後、小雨交じりの温泉街を散策。よさげな木工品やしおりなどを発見。後で買いに来よう。
夕食、豪華なバイキングで食べ過ぎ、いささか苦しくなり就寝。
まあ、日常を離れていてはいるけど、理想とちょっと違うような…。
朝、目覚めると、台風も過ぎ去りお天気が回復。9階の部屋の窓から、先日リニューアルした中庭が一望できる。
家族連れ、こどもが歓声を上げて走っている。とても気持ちが和む光景。お母さんがこどもの写真を撮っていたりして、幸せそうな光景。ご家族のいい思い出ができたんだろうな、と穏やかな気持ちに。
ただ、スマホや携帯で現実に引き戻されることって、あるよね。
なかなか離れきれないなぁ。
読みたい本も、厳選して持ってきたけど、鶴雅ウィングスのラウンジで見つけたフィッツジェラルドの短篇を読む。
持ってきた本はまだ一冊も読み終えられず。
まあ、それもいいかな。
鹿追町在住、図書館司書の資格取得を目指して大学の通信講座を受講する石川誠です。
鹿追でのブログの読者が増えたので、ちょっとずつでも書いていきます。
生涯学習概論、これは仕事柄もっと早く勉強しておくべきだったのですが、今になってしまいました。
そして、こういう概論、ぎっちり知るべきことが詰まっていて、なかなかページをめくり進められないです。小説を読むようにはいかなぃですね。しかし、時間が無限にあるわけではないので、サッと目を走らせて、キーワードを拾って、ピンとこないところだけを戻ってしっかり読み込む、という方法で、最初から最後までいったん目を通す作戦でいきたいと思います。はい。
北海道の十勝にある鹿追町の図書館で働いています。
図書館司書に憧れて、資格取得の勉強をはじめました。大学の通信の部でおススメされている田中共子さんの【図書館へ行こう】、たまたま、というかいつか読もうと思っていて積読していましたが、いまこそ読む時が来ました。
読んでいて、そうか、子どもたちに「来てください」と伝える前に、「図書館って、こんなところで、こんないいことがあるよ」ということをまだまだ伝えていないと思いました。
そもそも、図書館ってどんなもの?ということからはじめないと…。
まだ14ページまでしか読んでないけど、
○どうやって行くの?
○入っていいの?
○ぐるっと一回り!
○外で肝とよく、公園で読書!?
○こどもの本、大人が読まないのはもったいない
むしろ、時間がない大人にこそおススメ、3つの理由。
○ヤングアダルトコーナー
などなど、こんなに伝えようかなと思いついた項目があります。
少しずつ、伝える練習をしてみよう。
【鹿追町図書館の行き方】
「図書館の場所ってわかる?あ、わかんない?鹿追の役場って、行ったことあるかな。ない?そうだよね。子どもはあんまり行かないよね。鳥せいさんはわかるかな。子どもだけでは行かないよね。えーと、図書館は町の病院の北側にあるんだよ」
「鹿追小学校からは近いといえば、近いかな。でも、ちょっと離れているといえば離れているかな。えーと、大人の足でね、○○歩でついたよ。子どもの足だと…、ちょっと調べて教えてくれる?」
→今度、大人の足での○○歩を調べてみます。交通調査や入場者を数えるカシャカシャやるやつ、誰か持ってないかな…。
ボクは北海道の十勝、鹿追町(しかおいちょう)に住んでいます。
もっと図書館のことを知りたい、本のことももっと学びたい。それに、図書館司書って響き、カッコいいなと憧れて資格取得の勉強を始めました。
鹿追から大学は遠く、通えないので通信教育のある大学に申し込み。テキストが届くまで、【図書館概論】の単位の参考文献、【図書館へ行こう】(田中共子)著が家にあったので読んで待ちたいと思います。
この本は岩波ジュニア新書のレーベルなので、青少年向けに書かれています。
図書館の仕組みやサービス、また、そもそも本を読むということはどういうことなのか、などがわかりやすくまとめられていて、図書館のことも俯瞰できるし、子ども読書推進の活動のヒントにもなります。子どもたちのために勉強して、図書館や読書を自分の生活に役立ててもらおう!
長らく積読していましたが、いよいよ読んでみようと思います。
東京の友人を訪ねた。
東京の友達のところに遊びに行った。看板キングの高橋芳文さん。マツコの知らない世界に出演、メディアに出ていて、著者もあり、業界団体の要職を務め、有識者として官公庁からも意見を求められる、看板会社の社長さん。スゴイ人だ。
ある日、Facebookの投稿で、小さな出版社さんが集まって開催するイベントの運営に携わると書きこんであったのを見て、「面白そうだね!」とコメントしたら、「おいでよ!」と。
北海道から向かうので、イベントのスケジュールを確認すると、朝一から参加するには朝の飛行機では間に合わない。せっかくだから前日入りした。
「一緒にご飯食べよう」と誘ってくれたので、準備をしている桜神宮に向かう。神社の境内と、著名な作家の田口ランディさんがいた。
高橋さんはずいぶん親しそうな雰囲気。「北海道から明日のイベントのために来た、ボクの友達です」と紹介してくれた。ランディさんは、ニコニコしながら、えー、わざわざ、ありがとうございます!と、これまた笑顔。
子どもの頃から小説家さん、作家さんに憧れていて、なんか作家さんは気難しいというイメージを勝手に持っていたけど、笑顔が素敵な人だった。
ボクは元来人見知りする質で、あこがれの職業の方を前に、さらに、その方の本はまだ一冊も読んでいなかったので、「どうも」と言ったきり、続く言葉がなかった。
本を読む前に著者さんに出会う。これは、本好きとしてはちょっと悔しいというか(悔しいったって自分で読んでいないんだから、なに言ってんのと思うが)、しまったと感じた。これは、明日のイベントでランディさんの話を聞く前にやっぱり本を読んでおこうと思った。
新宿を歩く。
高橋さん(彼はポテト好きなので、以下ポテト)が、「新宿泊まりなら、いい雰囲気のお店があるんだ」と、首都高を使って新宿を目指す。
田舎から来たボクに、せっかくだからとゴールデン街を案内してくれた。ポテトは、日本で有数の看板界の権威である。
歩きながら、「こういう看板面白いでしょう」と子供のように無邪気な笑顔を見せてくれる。かと思えば、経営者としてお金につながることばかり考えている、お金ではない価値観ってよくわからなくてと率直に語る。
ボクは彼のFacebookの投稿を良く見ているが、これを見ているとお金じゃなくて目に見えないことの価値をずいぶん感じて求めている。
本当にお金だけが価値観の人だったら、ビジネスにつながりそうもない、田舎の公務員など相手にしないだろうとか考えると、露悪家なんだなぁと思った。
そういえば学生の頃、偽善者と言う言葉の反対の概念を思いつき(自分だけがそこにたどり着いた気になり)、わざと実像より悪く振る舞う人のことを偽悪者と表現していた。
ただ社会に出てしばらく経ってようやく、世の中で偽悪者という表現をめったに目にしないのは、偽善者の反対は露悪家という言葉が既にあったからと気がついて、得意げに造語を使っていた自分が恥ずかしくなったことを思い出した。
裏の道を入っていくとちょっと一本奥に行くだけで、狭くなり暗くなる。人も減る。あのあたりに入るとビール1分8,000だよと教えてくれた。異文化に触れるのはなんだかワクワクする。逆に東京に住む彼を鹿追に案内にしたら楽しんでくれるだろうか。畑しかない風景、雪に覆われた大地、すっかり凍ってしまった湖の上に氷で作るアイスロッジ。北海道の食べ物。彼なら意外と喜んでくれるかも。今度地元の画家神田日勝の美術館を案内したらどんな感想をかたってくれるだろうか。今度誘ってみよう。と、猥雑な街を歩きながら思った。
「こういう感じのお店、なかなか一人では来れないでしょ?」と、入っていった店は、古い感じの建物。
ウェイトレスが片言の日本語なのは、コンビニでもそうだが、店の奥さん、マスターも中国のなまりがある。本場の家庭中華だ。料理の名前は、一度聞いても覚えられないくらいなじみがないけど、美味しかった。
お互い、あんまりFacebookやSNSに書くようなことじゃないようなことを含め、お互い遠慮なく話す。ポテトは興味のジャンルがとても幅広く、なんというのか、ある意味捉えどころがないというか、枠に収まらない人で、求道者だ。
彼に、こう言われた。「ブログをみると、ずいぶん遠慮して書いてるよね。もっと思ったこと書けばいいんじゃない?」
彼には、ふだんボクが隠している毒の部分も御見通しのようだ。
「確かに、全方位外交、八方美人なんだよね。昔、本音を文章で書いたら、行き違って苦労した経験があるんだけどさぁ…。面と向かって相手の表情や、間を感じながら話す方が、本音のドギツイ言葉も誤解されそうになったら補足しながらやりとりできるからねぇ…。」
心地よい時間はあっという間に過ぎていく。
あの看板のこと
前から、彼と共にやりたかったことを思い出した。「そうだ、あの看板のところで、一緒に写真を撮ろうよ!」
「いいね、行こう行こう」
あの看板とは、この看板。歌舞伎町を象徴するこの看板、ポテトが作ったそうだ。
スマホのカメラで捉えられる光と(バージョンにもよるのだけれど)、肉眼で見る、周りの風景の中に浮かび上がる美しい文字とは、ずいぶん差がある。
なにかの機会で歌舞伎町に訪れる人には、ぜひ自分の目で見てほしいな、と思った。
「アイラブニューヨークのオマージュなんだけど、実は、別の着想があってね…、」と、この看板の最高の使い方を教えてくれた。できた作品とともに、そこに至った考え方を作者直々に制作秘話と共に解説してくれるのは、とても贅沢な美術鑑賞だ。
東宝のゴジラとともに、町の名物だね。スゴイ。
充実した時間を過ごし、泊まるホテルにたどり着いたのが午後10時40分。
フロントで夜中まで開いている本屋さんを聞いてみると、「少々お待ちください」とパソコンで検索してくれた。
眠らない街新宿の店で何件ぐらい、夜まで本屋さんが開いているんだろうと思ったら、ここから近くの本屋は午後11時ぐらいに閉まってしまうとのこと。歩いて20分くらいかかるそうで、着いたころには閉店である。
もちろんもっともっと遠くまで行けば開いている本屋はあるのだけど…。
そうかぁ、でもまあいいか。そういう風向きではないんだなと、ランディさんの本をあきらめて、ガラッと趣を変えてラーメン屋さんは近くにありますかと尋ねる。
こちらは、すぐリーフレットが出てきた。
「1番近くで、すぐそこの角にあります。」
聞いたボクが言うのもなんだが、本屋とラーメン屋の落差はずいぶんとあるなぁ。と思った。文化より食欲か。ボクもね。
すぐ食べに行こうと思ったが、飛行機と電車の移動でちょっと疲れたので部屋で一休み。
ベッドで横になりながら、自分でスマホを使って検索をしてみる。渋谷まで出れば24時間空いている本屋さんがあるみたいで、このホテルから渋谷までどのぐらいかかるのかなあとGoogle マップで調べる。
電車の乗り換えで、新宿と渋谷の駅はとにかく迷う。さっきも羽田から京急に途中直通で○○線というのがいろいろ変わりながらも渋谷まで来て、田園都市線への乗り方がわからなくて、改札から出てしまい、別のところからまた入った。
またうろうろして、どうもこっちじゃないと出ようとしたら、自動改札が閉まる。駅員さんに尋ねると「ここから出るとお金がかかるので○○改札から出るといいですよ」と教えてくれた。正直言ってそこまで迷わず戻れる自信もなかったしもう複雑さにとまどったりしていたので、田園都市線に乗り換えたいのですがと話をして、道を教えてもらった。
すでに待ち合わせの時間に少々遅れそうで何百円かはどうだっていいかなぁと。そんなわけでここから渋谷まで行って探すというのは、買いにいって迷って、たどり着いて本屋さんで目移りして迷って、帰り路にまた迷って…という頃には相当の時間が経っているだろうし、そうなると多分読まないで寝て朝を迎えて出発の時間になる気がした。
それなら意味がないなぁとスマホでルートを探りながら思っていたところ、いやまてよ、と。
iPhoneに入っている電子書籍のアプリを思い出した。
そして探してみたら、さっき友人に勧められた作品は無いものの、前に新聞か何かの書評欄で見かけて気になっていた内容の本があり、ダウンロード。なるほど700円ばかし払うだけで本の内容が手に入る。
わざわざ時間をかけて電車に乗って図書館に行くより買ってしまう方が、ただより安い。
さてこれは著者にいくらぐらい入るのだろうか、と思いながら読み始める。
【ゾーンにて】
主人公は福島で起きた原発事故の避難地域に行き、打ち捨てられた牧場の牛を見る。繋がれたままミイラになった牛、生き延びて久しぶりに人間を見て喜んで寄ってくる牛。家畜として生きていたが、人間がいられなくなり、食べられる運命を逃れ自然の中で生きる牛。幸せなのかそうでないのか。
牛だけでなく、ダチョウもいた。飼われていたダチョウは人間を見つけて寄ってくる。
ボクの町にもダチョウを育てている人がいて、その方の話を聞いたことがある。
ダチョウは飼い主であるその人になついているのかと思えば、そうではないと聞き驚いた。なんでですかと尋ねると、「あいつらからすれば俺は卵泥棒、敵なんだ」と。なるほど。
ダウンロードした小説を読んでいると、友達がブログに写真つきで記事を投稿してくれた。ずいぶん自分の顔が丸い。
これは夜中にラーメンを食べる場合じゃないなとちょっと反省。
再び本(電子書籍内の文章、本とは言わないのか言うのか)に戻ると、主人公の「人生に手遅れてなんてないから」という言葉に目がとまった。
この言葉は、いくつもいくつも自分の経験や人の人生を聞いて得た実感がこもっていると重みを感じた。そういう言葉を仰々しく書くんじゃなくて、さらっと1場面に溶け込ませる。読んだ人全員にこれを感じさせたいということではなく、誰かがわかってくれればいい。全員わかる事はないだろう。そういう風に書いているのかなと。なんだか、小説でそういう読み方を今までしたことがなく、さっき作者さんに会ったからかな、とふと思った。
小学校から国語の授業で作者の気持ちを考えよという問いに幾度となく答えてきたのだが。
この小説、面白いなと読みふけっていると、真夜中でも30分に1回は救急車のサイレンの音が聞こえる。ここでは、救急搬送はごくありふれた出来事なんだな。
意識をスマホに戻そうとしたところ、突如思い立つ。そうだ、今度の町の広報で、この本のおススメを書こう!
だが、作家さんは図書館で自分の本の貸し出しが増えると嬉しいのだろうか。ランディさんの顔が浮かぶだけにちょっと複雑な気分になる。
じゃあ、図書館もいいけど、Kindleが便利ですよ、と書くと今度は本屋さん達の顔が目に浮かぶ。ボクは電子書籍には思い入れはないけど、本屋さんは大好きなのだ。
電子書籍も便利だけど、紙の本が優れている点として、電子書籍は物として所有する喜びが薄く、手にした充実感は紙の本が圧倒している。手に入れた喜びは、なんなら、読まなくてもいいくらいだ。
そういえば電子書籍は、買うという表現をするが、アプリがなくなれば読めない。その辺りがどう保証されるかというと、電子書籍は買っているのではなくアクセスする権限を手に入れていて、それも永久のものでは無いようなことを何かで読んだような気がする。
そうするとやっぱり書店で買って部屋に置いておきたい。
ただ、欲しい本が決まっているのならネット書店は圧倒的に便利だ。Amazonに客を奪われる本屋さんの苦境を思う。本屋さんは、立ち寄ると新たな本と必ず出会う。
ボクの中ではアミューズメントスペースである。何気なく10、20冊と買ってしまうこともある。
それはともかく、読んでいると随分と面白い。さっきポテトが紹介してくれたとき、一緒に写真を撮ってもらえばよかった。
明日は多分そんな時間もないだろうな。
ああ、もう今日か。ちょっと寝てから、イベントに行こう。